建築家 梅田達也 の「家づくりアドバイス」その11

大徳寺北派本庵 大仙院 玄関(国宝)

玄関の上框がない住宅で
スリッパ知らずの生活を

 本来「玄関」というのは「悟りに至る関所」という意味で、禅寺だけに作られていました。京都の大徳寺北派の本庵である大仙院の玄関は国宝ですが、それは南側に別棟の建物として付いています。
 今や玄関は単なるお飾りの空間になっており、悟りに至るのは酔っぱらって帰ってきたお父さんが反省する時位のものですが…。
 普段は勝手口の方が結局は使い易いなどという事もしばしばです。それでも世の中の奥様にとっては玄関こそが我家の顔であり、悟りに至るのはさて置いて美しく飾られていて欲しい様です。

 玄関の靴を脱いで一段上がる所には「上り框(あがりがまち)」があり、その高さが高い程高貴な家という事になり「あそこの家は敷居が高い」などと云われるのですが、これは屋内で履物を脱ぐ習慣のある日本独特の形です。
 玄関は作るとしても上り框は設けず、上下足の履替をルーズにしておくと、以外と玄関は広々と感じられて良いものです。「敷居が高くない家」の方が現代的なのではないでしょうか?

 そして、その上り框に鎮座ましますのは「スリッパ」達です。
 温泉旅館の玄関といえば先ずまっ先に目に浮かぶのが整然と並べられた大量のスリッパですよね。日本人は上下足を玄関で厳格に分けているので必然的にこの風景が登場するのです。
 しかし、おかしな事にこれも廊下だけに使われる代物で、客室の入口にはまたまた玄関が設えられており、なんとさっき履いたばかりのスリッパはここで脱ぐ事となります。
 ベッドまで下足で上がり込む海外生活に慣れた人には、さぞや無駄に感じるしきたりと映るでしょう。
 しかも便所へ行くと御丁寧にも専用の下駄だかスリッパだかサンダルだかが置いてあり、そこでも又履き替えるという念の入れようなのですから…。
 これも日本人ならではの「潔癖」さの現れなのでしょうか?でも、今ではもうあまり必要ではなくなっているとも思います。

 床暖房が入った家で、スリッパを履かない生活をするというのは、とても気持ちが良いものです。

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