本来「玄関」というのは「悟りに至る関所」という意味で、禅寺だけに作られていました。京都の大徳寺北派の本庵である大仙院の玄関は国宝ですが、それは南側に別棟の建物として付いています。
今や玄関は単なるお飾りの空間になっており、悟りに至るのは酔っぱらって帰ってきたお父さんが反省する時位のものですが…。
普段は勝手口の方が結局は使い易いなどという事もしばしばです。それでも世の中の奥様にとっては玄関こそが我家の顔であり、悟りに至るのはさて置いて美しく飾られていて欲しい様です。
玄関の靴を脱いで一段上がる所には「上り框(あがりがまち)」があり、その高さが高い程高貴な家という事になり「あそこの家は敷居が高い」などと云われるのですが、これは屋内で履物を脱ぐ習慣のある日本独特の形です。
玄関は作るとしても上り框は設けず、上下足の履替をルーズにしておくと、以外と玄関は広々と感じられて良いものです。「敷居が高くない家」の方が現代的なのではないでしょうか?
床暖房が入った家で、スリッパを履かない生活をするというのは、とても気持ちが良いものです。