建築家梅田達也の「家づくりアドバイス」その1

最初の1枚

「築く」は「気付く」
家は住み手の肖像画

 私が個人住宅の依頼を受けて、スケッチを描き始める時に先ずする事は、その人を良く理解する事であって、決して間取りではありません。その人が持っている長い時間について、その人以上に観察しているのです。一生続ける趣味は?近所とのおつきあいは?ペットや車への思い入れは?等など…

 家を建てるという大事業を目前にしてしまうと、人は自分がこだわっていたはずの事を忘れて、目先の必要な物にばかり執心してしまう。
 寝室やリビングの広さ、玄関の立派な構え、子供部屋の数、駐車台数…etc.etc...

 でも、いざ家が出来てから、何か虚無感を味わう事も多いはずです。必要な物は全部そろっているはずなのに、せっかくの休日はお出かけです。
 どうしてですか?
 本当に大切だったのは、休日にその家で何をするか、出来るか。だったのではないのでしょうか?

 そんな時に建築家が一言提案をすると、「そうだった、忘れていた!」と、実に様々な「夢」が蘇って来てくれます。
 そんな「夢」を一つひとつ集めて、スケッチは進んで行きます。すると、その大小様々な「夢」達は、やがて、敷地の広さや、予算という魔物達に淘汰されて行きます。
「大切な事」と「捨てるべき物」とが、次第次第に見えて来るのです。

 出来上がったスケッチには、その人が気付いてくださったその人自身のライフスタイルが、私風にアレンジされた筆致で浮彫りになります。
 おこがましい事を言わせて頂けば、私にとって家を描く事という事は、画家が肖像画を描くのと同じ行為なのです。
 出来るだけ美しく描きたい、でも別人になってしまっては何もならない。良い特徴を誇張し、でも、悪いところも無視する訳には行かないのです。
 そんな、とても地味で真摯な観察の積み重ねです。

 私が住み手御自身に、どれだけ多くの大切な事を「気付かせて」あげられたかによって、「築かれた」家に対する住み手の思い入れは強くなります。
 家が末永く大切に住み続けられるかどうかは、その家の「物」としての耐用年数によるよりも、むしろ、『「事」としての住み手の思い入れの強さ』による方が大きいのです。

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