建築家梅田達也の「家づくりアドバイス」その2

ローマの街並

「1-1+2=2」 よりも
「1+1=2」の方が良い

 イタリアの中世都市の街並は美しくそれに引換え日本には街並のきれいな都市が無いと、よく批判されます。公私の考え方の差異がそこには良く現れているのです。

 日本人にとって家は個人資産であり、その資産価値の大部分は土地にある。建築家である僕にとっては、とても不本意な話です。
 例えば結婚をして子供ができ、家を建てようと考える。その時にその人々が考える未来は子供が学校へ通う頃までです。その子供達がやがて大きくなり結婚をして、また同じように家を探す時までは考えはしません。
 しかし、それは30年もすればやってくる。その時にこれから建てようとしている家は、まだ立派に住み続ける事が出来るはずなのでが、多くの人はその家を壊し、2世帯住宅に建替えをします。「1-1+2」です。
 でも、その家が増築出来れば、「1+1=2」で良いのです。「2」を得るエネルギーは、数学上はどちらも「1」でしょう。
 でも、建築の場合には、「-1」にもエネルギーがかかります。加えて、それまでの日々の思いをたっぷりと含んだ家も「-1」されてしまいます。
 結果の「2」を得る為に、2倍以上のエネルギーをかけた上、多くのものを失ってしまう方法を、多くの人々が好んでし続けているのです。

 ヨーロッパの都市では、住宅は社会資本として捉えられており、家に住むというよりもむしろ街に住むというイメージです。
 家が手狭になれば、広い家を探して住み替え、広い家に住む必要が無くなったら小さい家に引っ越せば良く何もその度毎に家を建て替える必要は無いのです。思い出の我が家は決して壊される事は無く、思い出したければまた訪れる事が出来ます。その時はまた、別の思い出が、別の住み手によって、その家に蓄積されているのです。
 それに、重厚な石造の建築は、「1-1+2=2」どころか「100-100+101=101」の様なもので、そう簡単に壊れません。「100+1=101」という方法を採らざるを得ないのです。
それを延々と繰返す事で、美しい街並ができると共に、国際競争力のある社会資本の蓄積が実現しているのです。

 一方で、日本人には、更新することを美徳とする文化があります。
 畳替え、ふすまや障子の張り替え等はその卑近な例です。中には、2年毎に新車に乗り換えるなんて人もいる位です。
 宗教的にも、伊勢神宮の式年造営のように、建て替える事が美徳とされているお国柄です。しかしこれは、神社建築の技術を、細部にわたるまで今日に伝承するという、目的の為には非常に有効な手段であり、また、取り壊された部材は決して捨てられる事なく、全国の神社に配られているのです。
 その意味では、この式年造営という仕組みは決して社会資本の蓄積を疎外しているとは言えないのです。

 ローマは1日にしてならずですが、ローマにも1日目はあったのだろうと思います。この国には、はたして、いつ1日目がやって来るのでしょう?

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